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INTERVIEW
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INTERVIEW

瀬戸弘司「好きなことで生きてきた男、40にしてまだまだ惑う」

取材・文=小山田裕哉

写真=横田達也

2010年から動画投稿を始めたYouTuber第一世代であり、今もマイペースな投稿スタイルで異彩を放つ瀬戸弘司。

YouTuber市場の成長を目の当たりにしてきたクリエイターに、この10年間の趨勢と自身の変化を振り返ってもらった。

2021年8月5日発売「my HERO vol.01」より引用

【YouTuberたちの告白】my HERO vol.01 ~ BEHIND THE SCENE ~

日本にYouTuber文化の到来を告げた、Googleによる「好きなことで、生きていく」のキャンペーンが始まったのが2014年。
そこには瀬戸弘司も登場していた。YouTuberの黎明期から活動するベテランでありながら、オリジナルグッズの「ぷんばらさん着ぐるみキャップ」(※)をかぶっておどけてみせる。
20代の若者が中心となり、アイドル的な人気を誇るYouTuberも登場してきた中で、そのいぶし銀な魅力にあこがれる人も多い……のだが、この10年のキャリアを振り返る中で明らかになったのは、若者以上に現役で悩み続ける40歳の本音だった。
好きな本を読む瀬戸弘司
my HERO vol.01(瀬戸弘司)

最初の頃はすごい緊張感があって。舞台の袖から客さんの前に出るような気持ちでやってました。

──瀬戸さんはよく「10年スパンで人生が動いている」と語っていますよね。

瀬戸 19歳で演劇に出会って劇団を始めて、29歳からYouTubeですからね。それで去年は39歳になり、これからどうしようかってタイミングで40歳になりました。

──YouTuberの黎明期に動画投稿を始めた瀬戸さんにとって、今はどういう時期なんでしょう?

瀬戸 個人的には節目ですよ。登録者数もずっと横ばいで、YouTuberとしては長い目で見たら死んでいる状態が続いていますから。

──いやいや、今も160万人以上のチャンネル登録者がいるじゃないですか。ゲーム実況などのサブチャンネルも合わせたら200万人以上です。

瀬戸 それはけっこう前からの数字で、キープではダメなんです。それに今はYouTube内だけでなく、NetflixやTikTokといった外のサービスともユーザーの余暇の奪い合いをしているわけで。焦りはすごくあります。

──そもそも瀬戸さんがYouTubeを始めた2010年は、今みたいに「これで有名になるんだ」という人がほとんどいなかったんですよね。

瀬戸 収益化すら一部の選ばれた人に限られていました。ほんとに趣味の世界ですよ。僕も含め、お金を得られるわけでもないのにやっている変な人たちばかりで(笑)。

──俳優としての活動の幅を広げるため、映像編集を学ぼうと思ったことがYouTubeを始めるきっかけだったとのことですが、当初からガジェットの紹介動画を中心に活動されています。それまで10年も俳優としてやってきたのに、なぜガジェットを題材に?

瀬戸 当時はガジェット紹介動画がYouTubeの中で人気があって、僕もよく観ていたんです。それを真似してやってみようと思ったのが最初ですね。やり始めたばかりの頃は紹介の声も小さくて、YouTubeらしい動画の作り方が全然わかってなかったんですけど、段々とこなれてきてからは演劇っぽい要素を入れるようになりました。

──テンション高く登場するスタイルを確立された頃ですね。あれは瀬戸さんにとって「お芝居の役に入っている」という感覚なんですか。

瀬戸 そうです。だから、当時はすごい緊張感があって。舞台の袖からお客さんの前に出て行くような気持ちで、画面の外から手を「パン!」と叩いてから飛び出していました。

──YouTubeをやっていることに対する周囲の反応は?

瀬戸 まず理解されませんでした。今の奥さんのご両親に挨拶に行ったときも、「YouTubeで動画を……」なんて説明したら、お義母さんが僕をずっと睨んでいましたよ(笑)。

──でも、それから10年でYouTuberに対する世間の理解も変わって。

瀬戸 そこにも難しさはあるんですけどね。もはやYouTuberが珍しいものじゃなくなったから、単に動画を作っているだけでは差別化できなくなった。「どのくらい人気なの?」「どういうことをやっているの?」っていう。

──YouTuberに対する世の中の扱いが変わってきたなと感じたのは、いつ頃でしたか?

瀬戸 2013年くらいじゃないかな。イベントをやると子どもたちが来るようになったんですよ。それがすごく印象的で。“変な人”から“おもしろお兄さん”になった瞬間でした。僕としても「これはもう普通にガジェット紹介はできないぞ」と。そこからですね。最初に寸劇をやらないと動画を始められなくなったのは。

──特徴を出すためのスタイルに自分が縛られるようになってきた。

瀬戸 誰もが通る道なんですけどね。

──2013年には瀬戸さんの所属事務所であり、日本初のYouTuber専門プロダクションである「UUUM」も設立されています。

瀬戸 だから、まさにYouTuberが日本でも注目され始めた時期だったんですよ。

──インタビューのために過去動画を見ていたら、その頃にヒカキンさんと初対面の動画もアップされていました。

瀬戸 あの頃はYouTuberをまとめよう、ガイドラインや組合を作ろうっていう動きが出てきて、あちこちでYouTuberを集めたパーティーが行われていました。そういう中でヒカキンくんや鎌田さん(鎌田和樹・UUUM代表)とも出会いました。当時はすごく面白かったですね。「これからどうなるんだろう?」というワクワク感があって。

──まさに新しい業界が立ち上がる瞬間に当事者としていたわけですね。

瀬戸 僕は大学中退で役者になったので、「野垂れ死にしても本望」みたいな考え方で生きていたんですよ。売れなくても関係ねえよって。そんなときに目の前で新しいことが日々始まっていくから、もう楽しくて。しかも収入もどんどん上がっていくし(笑)。

──実際、同じ年に瀬戸さんのチャンネル登録者数は10万人を突破。そこから更新頻度も上がっていき、2016年には100万人を達成します。まさに順風満帆だったはずなんですが、その頃から“失踪”も始まります。

瀬戸 ちゃんと覚えてないけど、その頃なんですね。

──ファンには有名ですが、瀬戸さんのチャンネルは数カ月更新が途絶えることが珍しくなく、「新作動画は生存確認」と言われることもあります。

瀬戸 どうしてだろうって考えると、100万人を超えたことで達成感があったのだと思います。やっぱり誰もが目指す数字じゃないですか、100万は。それで燃え尽き症候群みたいになってしまったのかな。

──当時は「死亡説」まで流れました。

瀬戸 でも、深刻に思い悩んでいたわけでもないんですよ。更新しなくなるときっていうのは、だいたい違うことをやりたくなったときなんです。新しいチャレンジのために勉強する期間というか。

──それでも何カ月も更新を止めたら、「忘れられるんじゃないか」って怖くならないですか?

瀬戸 めっちゃ怖いですよ! それで再生数が落ちたら生活できなくなるわけで。それなのに、なぜかやってしまうんですよね。

──どうしてなんでしょう?

瀬戸 この休止期間は僕にとって、次なるブレイクのための準備期間なんです。今までもアニメーションとか3DCGをやるって言い出して、実際に勉強してみたこともあったんですけど、そこに集中すると、「もう動画なんてやってらんねえ!」ってなる(笑)。

──そうだったんですね(笑)。

瀬戸 それでやっていることは、朝はゆっくり起きて、テレビ見ながらご飯を食べて、昼すぎくらいから勉強して、夕方にはカフェに行って……と。めちゃくちゃ優雅な生活ですよね?

──優雅です。

瀬戸 僕、それやっています。休んでいる間(笑)。

──確かに、それは深刻に悩んではいないですね(笑)。

瀬戸 もちろん怖さは常にあって。だからまあ、博打ですね(笑)。「やばいなあ」と思いながら、ブレイクの可能性を信じて優雅に暮らしているという。

──でも、誰もができることじゃないと思うんです。多少収入に余裕があったとしても、根本的に楽天家じゃないとできないんじゃないでしょうか。

瀬戸 根っこのところで「どうにかなる」と思ってはいます。それに普段から生活レベルを上げすぎないようにもしているんですよ。常に最低いくらあれば生活できるか計算しています。

──完全に個人事業主の発想ですね。

瀬戸 そうですそうです。UUUM所属とはいえ、僕は社員ではないですから。最近のトレンドとしてはチームで動画を作る人も増えているんですけど、僕は一人でやっている。だから、どうしても物量で負ける。編集もあそこまで手をかけられない。そうした中で、いかに生き残っていくか考えると止まらなくなって、すぐ2、3日経ってしまいます。更新がストップするきっかけはそういうところにあって。だから、休んでいるときも常に動画のことを考えてはいるんですよね。

──もともと演劇をやっていたから、集団制作にも向いてそうですが。

瀬戸 いや、僕は演劇で挫折しているんです。一時期は順調に劇団の動員を伸ばすことができたんですけど、途中からいろんな理由で伸び悩んでしまい、集団でものを作ることから一度離れてみようと思いまして。YouTubeを始めたときも、「自分の力でどこまでやれるか試してみよう」という気持ちでいました。そもそも自分のことを面白いと思い込んでいましたから(笑)。

──大学を中退した理由も、「根拠はないけど売れると信じていた」からだったとか。

瀬戸 若気の至りです。でも、そういう勢いも若いときは大事ですよね。

自らカメラを構えて撮影中の瀬戸弘司
my HERO vol.01(瀬戸弘司)

僕がYouTuberを10年やって言えることは、未来は誰も正確に予測できないのだから、好きなこと、続けられることをやるしかない。

──まさに新しい業界が立ち上がる瞬間に当事者としていたわけですね。

瀬戸 僕は大学中退で役者になったので、「野垂れ死にしても本望」みたいな考え方で生きていたんですよ。売れなくても関係ねえよって。そんなときに目の前で新しいことが日々始まっていくから、もう楽しくて。しかも収入もどんどん上がっていくし(笑)。

──一人でやってきて良かった?

瀬戸 良かったと思います。人を雇ったほうがいいかなと思ったこともありましたが、絶対に迷惑をかけるのでやめました。僕は昨日と今日で言うことがまるで違う性格なんです。自分でも自分に振り回されているくらいで、コントロールできない。こんなのと一緒にいる奥さんはいつも大変だろうなって思います。

──行動に一貫性がないというか。

瀬戸 全然ないですね。それはチャンネルの悩みでもあって。僕にはキャッチーな特徴がないんです。ガジェット系YouTuberと紹介されることが多いですが、ゲーム実況とかいろんなこともやってきて、「これだ!」っていうものがぼやけている。いいように言えば、すべてひっくるめて“瀬戸弘司の動画”なんですけど、それも観てくれている方にしか伝わらないし。

──でも、10年間も一貫性がなかったら、それ自体がもはや一貫した個性になっていると思います。そんなふうにずっと自身の今後について考えてきた瀬戸さんは、40代をどうしていこうと思っているんでしょうか?

瀬戸 だから、ほんとにどうしようかなって。

──あ、まだまだ悩んでいる?

瀬戸 YouTuberとして10年が過ぎた今は、20代のときに役者を10年やって落ち着いたときと同じ心境なんですよ。YouTuberはもう珍しくない。さて、自分はどうするべきか。それをずっと考えている状態です。

──これから進むべき方向を探すときは、何を頼りにされるんですか?

瀬戸 とにかく自分が楽しめるかどうかです、単純に。最近話題になっている、『実力も運のうち』という本がありますよね?

──ハーバード大学のマイケル・サンデル教授による『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(早川書房)ですね。

瀬戸 それです。中身は1ページも読んでいないんですけど(笑)、このタイトルにすごくしっくりきて。

──言葉として響いた。

瀬戸 僕は役者の経験がYouTubeで役に立ったわけですけど、演技を真剣に学んでいたときは想像もしてなかったんですから。ほんと運でしかなくて。

──将来を計算して勉強したわけじゃないと。

瀬戸 だから、10年後のために何を学んだらいいかって聞かれてもわからない。そもそも10年後にはYouTubeじゃないプラットフォームが席巻しているかもしれない。未来は誰も正確に予測できない。成功は運でしかない。それなら自分が好きなこと、続けられることをやるしかない。僕がYouTuberを10年やって言えることがあるとしたら、そのくらいです。

──逆に瀬戸さんが「やりたくないこと」は?

瀬戸 再生数のためにクオリティの低い動画を泣く泣く出すことです。でも、それを意外とやっちゃっているんですよ(苦笑)。職業としてYouTubeをやっているから仕方ないところはあるんですが、自分でわかるし、ちゃんと傷つくんですよね。

──手を抜くと誰よりも自分でわかる。

瀬戸 かといって手間と時間をかけて自分のすべてを注ぎ込んだ動画を作ることができたら満足かというと、それも違っていて。

──あえてYouTuberとしてのスタイルを定めないようにしている?

瀬戸 定まらないんです。定めたいけど、定まらないんです。

──10年やったけど。

瀬戸 10年やったけど。ずーっとそこを模索してきました。でも、定めたいってことはラクしたいってことなんですよね。自分のスタイルが固まったら何も考えなくていいわけで。だから結局、僕はラクしたいんでしょうね。

好き勝手やってきただけなのに、視聴者の人生の一部になれた。それはありがたいなと思います。

──瀬戸さん自身は、視聴者はチャンネルに何を期待して動画を観ていると思っていますか?

瀬戸 瀬戸弘司という人間を追っている感じなのかなとは思います。よく言われるんですよ。「瀬戸さんがレビューしている商品に興味はないし、今後も買うことはないでしょうけど、いつも観ています」って(笑)。

──ガジェット紹介動画でも、情報の中身より瀬戸さんの人柄に触れることが目的になっている。

瀬戸 「タモリ倶楽部」を観ている感覚に近いんでしょうね。興味ないテーマの回でも、めっちゃ詳しい人たちがうんちくを語っている姿が面白いじゃないですか。あの感じです。だからこそ、僕は自分が好きなことを追求するべきなんだろうなと思います。

──YouTubeだと視聴者からやってほしいことを募集する企画も定番ですが、そういうこともやらない?

瀬戸 それを聞くと怒られたりするんですよ(笑)。「私たちは瀬戸さんの興味があることをやってくれたらいいから」と。うちのチャンネルはYouTuberの中でも、ちょっと特殊な関係ですね。

──YouTuberと視聴者っていうより、深夜ラジオのパーソナリティとリスナーの関係みたいですね。

瀬戸 それはあるかもしれない。実は「子どもの頃に観ていました」と話しかけられることが結構あるんです。「お世話になりました」とか。

──10年やってきたからこそ生まれる現象ですね。

瀬戸 青春時代に聞いていた深夜ラジオみたいな扱いで。以前は「今は観てないのかよ」と思っていたんですが(笑)、最近は「ありがたいな」と感じるようになりました。好き勝手にやってきただけなのに、その方の人生の一部に影響できたわけですから。その分、責任も感じるようになったんですけど。

インタビュー全編は本誌をご覧ください。

※:チャンネルから生まれたギャグ「ぷーん」をキャラクター化したオリジナルグッズのひとつ。本誌掲載の写真では、瀬戸弘司チャンネルの10周年を記念して製作・販売されたキャップとTシャツを着用している。

チェキを構える瀬戸弘司
my HERO vol.01(瀬戸弘司)
【PROFILE】
瀬戸弘司

1980年生まれ、福井県出身。東京工業大学を中退後、29歳まで劇団員として活動を行う。映像制作について学びたいと思ったのがきっかけで、YouTube投稿を2010年4月に開始。国内最大級のマルチチャンネルネットワークであるUUUM(ウーム)株式会社に所属。ガジェット紹介を中心に行うYouTubeチャンネルのほか、ゲーム実況のサブチャンネルも運営する。チャンネル登録者数は167万人(2023年5月20日時点)。

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